コラム

しゃんさく、通訳への道①

 

こんにちは、しゃんはいさくらです。

 

今日は私が中国語に興味を持ってから通訳になるまでの経歴を紹介します。

外国語の勉強は人それぞれやり方があり、私の方法が皆さん合っているとは限りませんが、何らかの参考にはして頂けると思います。

 

このコラムを通じて、皆さまがご自身に適した勉強方法を見つけて下さると嬉しいです。

中国語に興味を持ったきっかけ

私が中国語に興味を持ったのは、子どもの頃にNHKの教育テレビで中国語講座を見たことがきっかけです。

 

意識して見た覚えはないのですが、たまたま聴こえてきた中国語に綺麗な言葉だなと感じたのが最初の出会いでした。

 当時はまだ子どもでしたし、中国語が話せるようになりたいとか通訳になりたいとは思っていませんでしたが、何となく興味は持ち続けていたように思います。

 

高校で中国語を習う

その後、高校に入学しました。

私が通った高校は中国・南京のある高校と友好提携を結んでいました。

生徒の留学制度はありませんでしたが、教師同士を交換留学させており、日本側では南京から派遣されてきた中国人の先生が中国語を教えていました。

中国語の授業は週2コマだけだったので、それほど深く勉強したわけではありませんが、とても楽しく勉強することができました。

実は、最初に出会ったこの先生は発音にとても厳しい先生でした。

私達はみんな中国語の初心者なのに、容赦なくダメ出し。でもそれが友達同士で自虐ネタになるほど楽しくて、とてもいい思い出となると共に、私の発音の基礎がしっかりと築かれました。

私の初中国は・・・

私が初めて中国の地を踏んだのは高校2年生、1992年のことです。

提携先の高校が創立90周年を迎えた際に、その記念式典に学校代表として参加し、上海→蘇州→南京を回りました。

※当時の写真はしゃんさく.comで一部紹介しています。

昔懐かし!90年代の中国はこんなだった!

記念式典では私が生徒代表で中国語のスピーチをする機会を頂いたのですが、その練習がとっても大変でした。

例の発音に厳しい先生から何度もダメ出しを受けたのもそうですし、中国が好きで何度も旅行をしているという別の先生からは、北京で買ってきたという発音の教科書(演劇学院出版の俳優向けの本)を貸してもらったりして(中国語読めないのに・苦笑)、たくさんの先生から指導を頂きました。

記念式典には理事長先生と校長先生も一緒に参加することになっていたので、先生の前で恥はかけないし、恥をかかせるわけにもいかないと思っていて、とても大きなプレッシャーを感じていました。

私は暗記が苦手だったのでスピーチを覚えるのが大変だったのです。。。

最後の方では、校長先生が私のスピーチの仕上がり具合を確認したいとのことで、校長先生を前にスピーチをしたりもし、緊張に負けない度胸をつける練習もしました。

  

今思えば、あの経験が今の通訳という仕事に繋がっている(通訳はメンタルの強さも必要なので)と思うと感慨深いですね。

当時の式典記念冊子。私がスピーチした内容が収録されています。

  

私が中国語に興味を持ち、中国に行きたいと思うようになったのも、こういうプラスの経験があったからだと思います。

言語の勉強においてその国が好きだとか、興味があるというのはとても大きな要素ですよね。

 

「好きこそものの上手なれ」とは正にこの事。

 

好きなことを切り口に外国語の勉強をするのは、言語習得の近道ですね!

 

大学で中国語を専攻

高校に入学して中国語を勉強し始め、式典参加のために初中国を体験したわけですが、いつの頃からか「中国語が流暢に話せるようになりたい、通訳になりたい」と思うようになり、大学は「外国語学部中国語学科」に進もうと心に決めて外国語学部ばかり受験しました。

その後、残念ながら第一希望の大学には落ちてしまったのですが、すべり止めも全て中国語学科を受けたので、大学では無事中国語を専攻することになりました。

 

大学では、毎日好きなことが勉強できて楽しかった思い出と、中国に旅行するためにバイトに励んだ思い出が半々ぐらいです。

日本で大学って言うと「遊べる」イメージがとても強いのですが、悔やまれるくらい遊ばなかった私です。。。苦笑

自分で言うのも何なのですが、それなりに真剣に中国語に取り組んでいたので、一応成績優秀で卒業してるんですよ。

それでも全然話せるレベルじゃなくて、やっぱり話せると言えるほどのレベルになるには留学が必要だなと思いましたね。

同級生に長期留学して1年遅れて卒業した子がいたんですけど、彼女と久々に会った時に口から出てくるスピードが全然違うのを目の当たりにして、ものすごくショックでした。

 

若いうちの留学は人生にプラスになります!

私も本当は大学で長期留学できれば良かったんですけど、経済的な理由で大学は必ず4年で卒業することが条件だったのと、単位にカウントできる留学先が魅力的な学校じゃなかったので留学を諦めたのです。

時代が変わり、海外留学をするかしないかで悩む人もいらっしゃるかと思いますが、通う大学に交換留学プログラムがあるなら、制度を有効利用して是非留学を体験してみて頂きたいです。行ける条件があるならとりあえず行っておいて損はないと思います!!

 

社会人時代は中国語から一旦離れる

就職活動では中国に工場やオフィスを持っている会社を中心に面接を受けました。

ただ、私はドンピシャの超氷河期世代でして、就職活動には結構苦労しました(女子は門前払いという時代でもありましたので。。。)。

それでもなんとか中国で事業展開している会社に入社し、社会人生活が始まりました。

やる気に満ち溢れていた新入社員の頃

 

実は社会人になってからは、中国語の勉強がほぼストップしています。

心の中ではせっかく勉強したのにという思いがあったものの、仕事でチャンスを掴みたかったのであまり気にしていませんでした。

私の希望は、ズバリ「駐在員として中国で働くこと」

社内でも事あるごとに自分が中国事業に興味を持っていることを匂わせて、中国事業部のトップの人とお近づきになれるチャンスもあったのですが、その人からピシャリと「お前は女だからなぁ」と言われてしまい、The・エンド。。。

 

でもそのおかげで当時勤めていた会社に見切りをつけて仕事でダメなら自分で行く!と留学する決心ができたんですけどね。

 

留学準備~中国渡航

留学する決心をしたらもう突っ走るのみです。

NHKのテキストで中国語の勉強を再開すると共に、留学先をどこにするか研究し始めました。

 

当時自分には固定観念があって、中国語を勉強するなら北方の都会で習った方がいいと思っていたので、ターゲットを青島、大連、天津などに絞って予算に見合う学校を探しました(北京は予算的にしんどくて諦めた)。

北の都会がいいと思ったのは、「訛り」のある標準語を勉強したくなかったからです。

 

でも当時の認識は間違ってましたね。

  

これは今だから言えるのですが、外国語はある程度マスターできれば訛りは自分で修正することが可能なので、南方でも田舎でも自分が興味を持った学校ならどこでも大丈夫です。

中国はどの地にも少なからず訛りがあるので、私の固定観念は意味がありませんでした。

また上海や広東などなら現地の言葉も覚えられるし、ある意味一石二鳥かも知れません。(コストは高いけどね)

 

いろいろと研究を重ねた結果、ある程度都会なのに学費がまあまあで寮で自炊がOKだった大連鉄道学院(現:交通大学)に行くことにしました。

予算と自分のこれまでの経験や年齢を考えて、半年以上は意味がないと思い3ヶ月にしました。結局はHSKを受けたり中国で就活をすることになったので4ヶ月滞在しましたが、この期間は本当に濃い勉強の時間になりました。

 

次回につづく

 

 

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