コラム

しゃんさく、通訳への道③

 

こんにちは、しゃんはいさくらです。

私が中国語に興味を持ってから通訳になるまでの経歴を紹介するコラム、【しゃんさく、通訳への道】。

今日は3回目として、中国で就職してからのお話を書いていきます。

  

通訳という仕事は今後の見通しがあまり明るくありませんが、語学力があることは必ず強みになりますので、諦めずに勉強を続けましょう!

このコラムを通じて、皆さまが中国語学習のヒントを見つけて下されば幸いです。

  

過去記事ご参考

しゃんさく、通訳への道①

  こんにちは、しゃんはいさくらです。   今日は私が中国語に興味を持ってから通訳になるまでの経歴を紹介します。 外国語の勉強は人それぞれやり方があり、私の方法が皆さん合っているとは限りませんが、何ら ...

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しゃんさく、通訳への道②

  こんにちは、しゃんはいさくらです。   今日は私が中国語に興味を持ってから通訳になるまでの経歴の紹介として、前回の続きを書いていきます。 このコラムを通じて、皆さまがご自身に適した勉強方法を見つけ ...

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留学生活の終盤で就職を意識

留学期は机の上での勉強をメインにしてしまって、疎かになっていた「耳」と「口」の力

相互学習はしていましたが、部屋にこもっての勉強生活がメインだったため、このまま日本に帰っても中国語を武器に再就職するのは難しいと感じていました。

 

当時は就業ビザが今よりも取りやすく、留学後にそのまま中国に残ってしばらく社会人経験を積む人も少なくありませんでした。

私も中国での就業経験が欲しいと思い始めていました。

   

留学生寮の掲示版に求人情報はいくつかあったのですが、大連という土地柄なのか、当時は生産技術の経験があるシニア向けの求人ばかりで、とても私の経歴とは畑違いでした。

そんな時、上海の人材会社が大連に出張登録に来ることを知り、ノーメイク&ボロボロのジーンズで出かけたことが、私の人生を大きく変えることになります。

 

担当の方に上海で本格的な就職活動をすることを勧められ、HSKの受験後直ぐに上海に飛びました。

  

上海にて就職活動

私が留学していた当時は、今のように通信インフラが便利な時代ではありませんでした。

留学が明けて間もない頃でしたので、まだ携帯電話も手にしておらず、連絡手段は公衆電話とEメール。

 

インターネットはそれなりの場所にいかないと繋げないし、接続はダイヤルアップが主流で速度も遅く、人材会社の担当さんとのやりとりがとても大変でした。

電話は公衆電話を利用したのですが、当時は時折ハズレ電話に当たることがあり(繋がるけど音声が出ないとか、周りに1台しかないのに壊れてて使えないとか)、当時はまだ貴重だった1元硬貨(紙幣が主流でしたので)を何枚も無駄にしたりして、トラブルを乗り越えながらの就職活動でした。

今では使う人をほとんど見ない街中の公衆電話

紆余曲折の中で、最終的に入社を決めたのは日系の不動産コンサル会社でした。

この会社では、新規で中国に進出する企業さんとのやり取りがあり、勉強になることがたくさんありました。

ただ、休日出勤や残業が多く、日本人駐在員の私的な用事に借り出されることがあり、日本人の嫌なところをたくさん見てしまって、メンタル的に厳しい状態に追い込まれてしまいました。

  

中国語の実力を高めて更に何かの知識を得たくて上海で就職したのに、何かが違う。

私はこんな仕事がしたかったんじゃない。

上海1年目は悩みに悩んだ日々を送る

本当は中国語の勉強を続ける為に語学スクールにも行こうと思っていたのですが、そんな気力も体力もありませんでした。

 

毎日モヤモヤした日々を送る中、唯一の至福の時間は、誰もいないオフィスの自席で一人ネットサーフィンをすること。

日本人コミュニティーに入るのも辛くて一人で悶々とネットサーフィン。。。

 

ネットニュースを読みながら、この生活を変える為にはどうしていくのが良いのかを考えるも、上海で新しく生活を始めたばかりなのに今ここで仕事を辞めちゃってもいいのかという気持ちと、いつまでも無駄な時間を過ごしているわけにはいかないという年齢的な焦りが交錯して、なかなか答えが出ませんでした。

私は果たして上海に残るべきなのか、日本に帰るのが良いのか。

 

急に降ってきた転職のチャンス

人生たるもの、時に偶然に偶然が重なって思わぬ方向に進むことがありますが、上海で経験した2回の転職は、正に運良く手にした素晴らしい転機だったと言えます。

急に明るい未来が見えてきた!

 

初回の転職は、ネットサーフィンをしている時に偶然見つけたあるコンサルティング会社の翻訳者募集案内でした。

通訳と翻訳は違いますが、今までよりも中国語を使って仕事ができるチャンスであることは間違いありません。

何かピピピッとしたものを感じたので、すぐに応募のメールを打ちました。

先方からはすぐに返事が来て、面接の時間をやり取りし、応募者が1人だったこともあってか、最初のメールから3日も経たずに採用のお返事を頂きました。

 

今思うと、あの時即決したことが、その後に向けてとても大きな前進になったと思います。

前の会社が嫌で嫌で仕方なかったこともありますが、当時の自分の判断に拍手を贈りたい気持ちです。

 

 

朝も昼も夜もALL中国語!

晴れて転職に成功し、新しい生活が始まりました。

 

この会社は資本は日系でしたが、総経理も同僚も100%中国人で運営されていて、日本人はおろか、日本語が話せる人材すらいない不思議な会社でした。

 

当時は日本本社の社長がメディアの取材で取り上げられたりしてて業界内ではそれなりに有名な会社だったのですが、上海支社はびっくりするほどローカライズされていて、そりゃー日本人欲しいよねっていう感じ。

 

元々はマーケティングレポートや法令などの翻訳人材として入社したのですが、そのうち日系クライアントのやり取りで通訳として商談の場に同席するようになり、その後日系営業担当としての仕事が増えていきました。

同時通訳、翻訳、営業商談など仕事は充実してました

 

この会社時代は公私共にとても充実していました。

中国語の使用率も一気に上がって、朝出社して用事があれば、同僚は100%中国人なのでもちろん中国語で話すし、お昼も中国人の同僚と一緒だと中国語だし、夜は夜で当時付き合っていた人(のち、夫)と中国語で会話してた(出会った当時、旦那は日本語NG)ので、正に朝も昼も夜もALL中国語!という生活でした。

 

クライアントさんは日本人の方でしたが、仕事上の改まった話しかしないので、かなり日本語を恋しく思う生活を送っていました。

でもそのおかげでこの期間に中国語力が飛躍的に向上し、ビジネスレベルに達することができました。

 

また、この会社はいい意味で中国的な商習慣で業務が進んでいたので、急ぎの案件さえなければ定時で帰るのが当たり前

当時急務だった通訳力、翻訳力向上の為に通訳スクールにも通うことができて、幸せな日々を送っていました。

 

でもいい日々は長続きしないものです。

本社が投資会社に買収されてしまい、私が所属する部門が閉鎖されることに。

部門閉鎖に絡んで、日本側で私をサポートしてくれていた先輩が退社することになり、社内に自分の味方がいなくなることに身の危険を感じて、急遽転職活動することにしたのでした。

  

登録面接で即決した今の会社

急に転職することになり、手元に何も情報がなかったので、最初の転職でお世話になった人材会社に再登録して仕事を探すことにしました。

せっかくのチャンスなのでいろんな業界の方の話を幅広く聞こうと思ってその旨を伝えていたのですが、登録面接で中国語のレベルテストをした時に、

「これくらいの中国語レベルがあるなら是非♪」

と強く薦められたのが今の会社でした。

提示された条件が良かったので、いろんな業界の方の話を聞く間もなく、その場で「応募させて頂きます」と即答しました。

3度目の転職も即決でした

 

今思えばあの出会いも偶然に偶然が重なっていて、私はAさんという担当さんと中国語面接をしてたのに、たまたま近くに通りかかったBさんが私の中国語を聴いて足を留め、この会社いかがですか?と横入り(!?)してきたのだから、人生どんな出会いがあるかわかりません。笑

 

後から聞いた話では、今の会社が通訳として求めていた中国語力の目安は旧HSKで10級、11級程度(今のHSKで言うと、6級で250点以上程度)だったそう。

当時(2008年)は、「HSK8級の日本人はたくさんいるけど、それ以上の人がいなくて、あなたのような人材を待ってたんだよ!」と大げさなことを言われました。

 

私は留学後に受けたHSKで7級を持っていましたが、それ以降は受けていなくて、正直当時のHSKレベルはどれくらいだったのかよく判りません。

ただ、発音に厳しかった恩師のおかげで、ずーっと中国語が上手だと褒められて来た(つまり、語彙力がなくても上手に聞こえる)ので、それで拾ってもらえたのかなと。

   

他の人が持っていない要素を自分が持っていれば、それは転職にとても有利に働きます。

私の場合は「中国語」というカテゴリーでそれがあったということでしょうか。

 

時代が変わり、今後通訳という仕事はAIに取って代わる可能性が大きく、通訳を必要とする人も目指す人もいなくなるかも知れませんが、通訳を目指さなくとも、語学力があることはとても大きな武器になる(周りの人よりも抜きん出ていたら更に強い)ので、どんなに技術が発達しても、語学力を磨くことに無駄はないと思います。

  

私にあったもの 「志」と「自己陶酔」

時々考えることがあります。

自分はどうして中国語が話せるようになったのか。

英語だってたくさん勉強したのに全然ダメで、中国語はモノにできたのはなぜか。

 

その答えはまず、

中国語が好き

だったことが大きいと思います。

 

私は中国語をマスターするための環境を整えながら、自分を追い込んで語学力向上に努めてきましたが、追い込まれてもそれを嫌だと思わない気持ちがあったので、ここまで続けてこれたんだと思います。

  

前にも書いたかも知れませんが、

好きこそものの上手なれ

とは本当によく言ったもので、子どもなんかを見ていても、自分の好きなことをやっている時の集中度と言ったら、おやつだ、ごはんだと呼んでも振り返らないくらい集中してやってますものね。

 

やらされたことではなく、自ら選択してやったことなので、それなりの気合と覚悟もあったような気がします。

 

 

次に自分が持っていた要素として、自分のなりたい姿が明確だったということが挙げられます。

たぶんテレビドラマや雑誌の影響を受けてだと思いますが、「キャリアウーマン」という言葉に漠然と憧れていて、いつの間にか自分の中で、中国語を操って華麗に仕事をこなしている姿が出来上がっていたんですね。

なりたい姿を想像

 

自分の中でイメージが出来上がってて、それを想像しながら、時には(なってもいないのに)その姿に酔いながら、それに向かって着々と進んできた気がします。

 

表題では「志」と「自己陶酔」という言葉に集約していますが、なりたい姿を想像することはとても大事だと思います。

   

向上から維持へ 新たなるステージ

このサイトを立ち上げた想いにも通ずるのですが、人間は年齢を重ねると、どうしても「老化」問題に立ち向かわなければいけなくなります。

これまでは中国語力を上げることに意識が向いていましたが、これからは語学力を維持するための勉強が必要なのではないかと思っています。

語学力の維持も実は難しい

  

語学力の向上と維持の為にやることはもしかしたら同じかも知れないし、違うかも知れないですが、せっかく手に入れた能力なので、それを失うことだけはしたくない。

 

まだ手探りですが、このサイトを通じて自分の経験を皆さまにお伝えし、お互いがサポートし合える場になるといいなと思っています。

  

【しゃんさく、通訳の道】は以上ですが、またいろんな中国語ネタをアップしますので、どうぞお楽しみに。

 

昔話にお付き合い頂き、どうもありがとうございました。

 

 

 

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